「生産性」という呪い

「生産性」という言葉は呪いだ。メリとハリの境界を濁す毒だ。


寝ている時、YouTubeを眺めている時、散歩をしている時。「生産性がない」という焦燥感を抱いてしまうことがある。やるべき事はあるけれど、常にタスクを消化せねばならぬ訳では無い。それなのに、「生産性」「生産性」とあくせくしてしまう現代人。


すぐに効率と結果を求める現代社会の呪いか。完璧主義の自分の、身から出た錆か。それとも、就活を控え、「意識を高く(笑)」せねばならぬと思わせる社会・思い込む自分の卑劣さ、愚かさか。


「生産性がない」と嘆くことが、最も生産性がない事だ。今行っていることに無理やりにでも意味を見出すことで、その行為には生産性が産まれる。生産性を生産せよ。


だからといってタスクを放置していれば、酷いことになるのは目に見えているが。自身の休息を許さず、「今日は何もしない日」と決めて積極的に「何もしない」ことをした事の無い人には試して見て欲しい。


一日だけ、積極的に、意図的に、「何もしない」をするといい。