恋愛って、花火みたい。

恋愛体質の私が、この前友人と話した内容を書き連ねます。短めです。

 

恋愛って、花火みたい。

 

打ち上げか、手持ちか、線香か、など。それぞれの恋愛の形次第だけど、どれも美しくて、派手で、儚い。

 

火は危険だ。怪我するかもしれない、火傷するかもしれない。体に着いた傷跡が消えなくなるかもしれない。それなのに「火遊び」をしてしまうのはなぜだろう。燃え上がれば燃え上がるほど楽しいのはなぜだろう。リスクとスリル、背徳感の誘惑。危険を冒してまでのめり込んでしまうほどの魅力とは何なのか。あるいは、そのリスクさえ魅力の一部、嗜好のスパイスなのか。

 

花火は美しい。しかし残念なことに、いつかその火の命が尽きてしまうこともある。

 

その花火が終わると、その場から光は消えてしまう。しつこく漂うは、火薬の香り。ああ、終わっちゃったな、って力なく笑いながら、やりたくもない後片付けをしなくちゃならない。

 

バケツに刺さった残骸たち、灰になった花火はもう元には戻らないし、迂闊に触れるとボロボロと崩れてしまう。懐中電灯の人工的で無骨な光を頼りに水に流し、その場には何も無かったかのように振る舞う。

 

一瞬だけ、夢を見た。そう思ってしまうくらい、今までは空を飛び交っていた光たちはどこかに隠れてしまった。

 

ここが暗くなると、別の場所で花火が上がっているのが見える。汚い、うるさい。そう思うのも無理もない。

 

でも、夜が深けた頃に気づく。この花火は打ち上げる前から始まっていたんだ。花火を作ってくれた人がいる。準備しながらワクワクしていた私たちがいる。そして、花火の光を浴びて輝いていた時間がある。

 

どうして花火は消えてしまって、続かなかったのか。火薬の残り香と少しだけ漂っている火の粉が、闇を切り開く手がかりとなるだろう。

 

好きだったなって、楽しかったなって。そう思えた時、夜明けが訪れる。ゆっくりと、着実に。塞ぎ込んだ夜中も、この朝焼けも、花火と同じくらい大切な景色となって私の胸に刻まれるんだろう。

 

日が登って、朝が来て。火薬の匂いも薄れた頃に。
「あの花火、綺麗だったな」って、笑えるような恋がしたい。